五十稲荷神社
五十稲荷  祭神は 保食神(うけもちのかみ)です。
 創祀はわからないようですが江戸幕府が始まる前の慶長の頃この地に祀られていたといいます。
 正徳の頃、下野足利藩の戸田長門守邸内に奉祀され栄寿稲荷大明神と崇められていました。五・十のつく日には邸を開放し諸人の参詣を許したことから、縁日市が立つようになり、「五十稲荷(ごとういなり)」と呼ばれるようになりました。
 いまは境内地は40坪くらいでしょうか。千代田通りを背にひっそりと鎮まっています。
 ところでいま奉納された幡が5本立っていますが、そのうち1本の奉納者のお名前が「台東区・内海桂子」さんです。私の憶測かもしれませんが、このあたりにゆかりのある方です。(次の2件参照)

永坂更科神田分店
更科  宮内庁御用達の麻布永坂更科の神田分店です。「布屋太兵衛」の看板を掲げています。
 錦町あたりは大小のビルに覆い尽くされていますが、この店は数少なくなったモルタルの二階建てです。店内もそう広くはありません。ファンは多いようで昼時には店のまで順を待つ客を見かけます。
 昭和の初めこの店に内海桂子師匠が子守りとして働いていたことがあるとのこと。
 神保町・錦町には「更科」「満留賀」「出雲」から「小諸」「神田」「松屋」などのたち食いまで蕎麦屋がたくさんあります。「薮」はちょっと離れた淡路町です。麺好きにはいい場所かも。

アムールエーパン
アムールエーパン  更科から西に1ブロック離れた千代田通りの角にこのパン屋さんがあります。自前のパンを焼くベーカリーです。
 このパン屋さん元は錦華小学校(いまのお茶の水小学校)のそばにありました。いまは工場が小川町お店の北100メートルにあり、店の前の「焼きたて」ののぼりは嘘ではありません。
 実際に食パンを1斤買って食べてみたがたしかにおいしい。昼時は調理パンが売れ筋でこれもおいしい。
 内海桂子師匠のお名前をまたまた借りて申し訳ないが、このお店で販売していたシベリア(餡をカステラではさんだもの)が食べたかったとは数年前のテレビ番組でのお話。

共立女子大学
共立講堂 新築中の学舎  一ツ橋から神田神保町にかけて施設を展開する明治19年創立の女子教育のメッカ。発起人が34人いらしたので共立なのです。
 女性に専門的知識と高度の技能を修得させ、女性の自主性と社会的自立の育成を目的としています。キャンパスは原点であるここ一ツ橋と八王子にあります。
 上の写真は共立講堂です。むかし、東京都内にはたくさん人を集めて試写会や講演会などを開く場所は限られていました。このあたりの新聞社・出版社の主催になる行事には共立講堂はよく使われたものです。
 下の写真は新しい学舎です。旧建物は石造りでいかにも重みが感じられますが、新築の方は鉄骨にカーテンウォールの張りぼて。耐震性はよいのでしょうがなんとなくプレハブ。良し悪しは別にしてなにか寂しいかも。  共立講堂は保存されます。

東京パークシティ
東京パークタワー  「神保町一丁目南部地区市街地再開発組合」の手になる「神保町一丁目南部地区第1種市街地再開発事業」でこのあたりは区割りが全く変わりました。かつて路地と呼ぶのがふさわしい道で細かく区画されていた町がまとめて2ブロックになってしまいました。
 消された道路用地は周囲に割り振られたので施設のぐるりの道路がたっぷり2車線になりました。
 古い町並みが懐かしい方にはこうした再開発が恨めしいでしょうが、でも火災消火作業はやりやすくなるから住んでいる人には安心なこと。
 でも心配なのは住居等にお住まいになる方。神保町にはいま生鮮食料品をあつかう店が1店だけ。どこか近隣で調達しないと自炊できないのでは。あるいは住居等の1階あたりにスーパーでもできるのでしょうか。余計な心配です。
 再開発以外の場所ではまだ古い建物があります。これはいずれ別項で紹介しましょう。

すずらん通り
すずらん通り 赤花トチノキ  すずらん通りは駿河台下から神保町まで靖国通りとほぼ平行に走る通りです。本屋の多いこのあたりですが、この通りはいまでも商店の業種は多彩です。本屋はもちろん、パチンコ・飲食店・文具屋・レコード店・菓子屋・郵便局などなど。そういえば神保町側の入り口近くに「天下一そろばん」のビルがあります。今では階下を貸していますが、一本北側の裏道にはちゃんと小さな札を掲げています。
 むかしはこの近辺の繁華街でした。この通りに並ぶ街灯が鈴蘭の形をしていました。通りの名称はこの街灯によってのものではないかと思います。東京近郊に行くと「すずらん通り」と名づけられた商店街が見受けられますが、ここが発祥の地なのでしょう。
 下の写真はすずらん通りの中にある「おにぎり屋さん」の前に植えられている木です。葉の形を見るとトチノキです。そういえば花の形もトチノキの花です。でも普通は黄色の花です。おにぎり屋さんのご主人に聞いたところこれは「赤花トチノキ(アメリカ産)」だとのこと。この木の左側には高さ1mほどの苗木が植えられています。だんだんと増えていくのですかね。とりあえずすずらん通りの名物。5月中旬が盛りです。
 ところで赤花トチノキを200メートルにわたって植えてある通りが銀座2丁目松屋裏にあります。通称「マロニエ通り」です。視野を赤花トチノキでうめたい方にご参考まで。

冬物グッズ
ニッピン  神保町から駿河台下・小川町までの靖国通りに面するお店はかつて明治大学・日本大学を支えた学生の街。本屋・文具屋などが軒を連ねていたのですが、いまは学生のウィンタースポーツを支える町に変貌。ウィンタースポーツの最盛期には週末・祝日はもちろん大晦日まで若者が闊歩するのです。
 ビクトリア・みなみ・ミズノをはじめ、小さい独立系のお店を含めると一体何軒あるのでしょう。大店舗はそれなりの品揃えで人気ですが、一本裏道の小店舗では値打ちものが安く買えるというので人気。
 一昨年末、都営地下鉄三田線の神保町南側の出口から出てきた若いカップルに聞かれました。「神田駅」どこですかと。神田駅はここから東に2キロの位置にあります。なんで神保町で降りたのかと気の毒になりました。でも二人のいかにもという服装を見て聞いてみました。「ひょっとしてスノボーを買いにきたの」。図星でした。スキー用具のメッカは「神田」と聞いてきたのでしょうね。このあたり神田明神の氏子ですから神田に間違いはありません。千代田区のダウンタウンはむかしの神田区ですが神田駅はその端っこなんですけどね。

救世軍本営
救世軍本営  「信ずるものはみんな、みんな救われる」の「社会なべ」で有名な「救世軍」の本営がここ、岩波書店の並びにあります。

××さん家の猫
ネコ  プライバシーの問題がありますのでどこのお宅とはっきりと申し上げられませんが、このお宅の飼い猫の数はとっても多数なのです。朝に猫の皆さんそれぞれ外出し、夕方家に帰ってきますが扉は閉じられていて家の中には入れません。そこで玄関先でじっと座ってあるいはゴロゴロと晩飯の出るのをひたすら待っているのです。
 最近確認したところでは猫たちは家に入らず家屋の間にある隙間で発泡スチロールで暮らしているのかもしれません。

神田消防署分室
神田消防署分室  まるで童話の中に出てくるようなとっても可愛い小さな消防署です。所属するのは消防車2台だけ、小さな車庫にかしこまっています。消防車はいいのですが、搭乗する署員の方は何人が待機しているのでしょう。小さな部屋にかしこまってお過ごしなのでしょうか。どこでラジオ体操をするのでしょう。どこでホースを干すのでしょう。見ていて悩みが尽きません。

鶏卵卸
たまご屋さん  田中商店といいます。店先に雨風をしのぐ透明なビニルシートを下げてあります。
 そのシートを左右に掻き分けて薄暗い店内に入ると卵が見えません。むかしのよろず屋という雰囲気で菓子類とカップラーメンが棚に並んでいます。看板は青色のシートでけっして古いものではありません。だからどこかに卵が隠されているのです。思わず聞いてしまいますよね、「むかしは玉子屋さんだったの」と。
 店の奥さん答えていわく「いまだって売ってるよ」指差す方向、奥の階段の上がり口に確かに「鶏卵」の箱が十数個。学校や飲食業者が相手だそうで小売はしてません。小売は手間がかかるからやらないとのこと。産地はしっかり確保しているからその辺のスーパーで売ってるのとはわけが違うとおっしゃってました。

プロレスグッズ
グレートアントニオ ノンストップ  錦町に2件もあるのです。スポーツ用品店の延長上に位置付けされるのでしょうか。プロレスファン、アントニオ猪木ファンにはたまらないのでしょうね。時としてこの店の前に数十人の列ができることがあります。なにやらイベントがあるようです。私は全く興味がないので店内に入ったことはありません。お好きな方はどうぞ。アントニオ猪木さんの似顔絵の看板「ハーブ云々」がありました。そちらに興味のある方もどうぞ。

喫茶店群
 このあたりはむかしから小さな会社が数多く存在します。顧客との打合せは狭い社内より喫茶店が格好の場所です。
 また日本新刊・古本のメッカです。連休には夏の暑い盛りでも本を捜し求める人であふれるくらいです。
 そんな人々のオアシスともいうべきなのでしょうか。そのうちのいくつかの写真をお見せしましょう。高級店から大衆店まで喫茶店が多くあります。
ブレンツコーヒー カフェリオ 珈琲館
ブレンツカフェ カフェリオ 珈琲館
ドトールコーヒー カフェエスプレッソ フレール
ドトールコーヒー カフェエスプレッソ フレール
カフェクーリエ ホイリゲ ピートカフェ
カフェクーリエ ホイリゲ ピートカフェ
さぼうる スターバックス タリーズ
さぼうる スターバックス タリーズ

豊川稲荷
豊川稲荷  東京電機大学の校舎の裏に鎮座しています。縁起などを書いたものはありませんので、いつ、だれが分祀されたかはわかりません。社に向かって左に社務所をかねているのでしょうか、このあたりの町内会の集会所があります。ということは現在は町内会が氏子ということになるのでしょうか。
 この神社は靖国通りから南に向かう路に面して建っています。通から5メートルほど引っ込んだ袋小路にあります。昼時になると小路の入口に人がたかります。ひょっとして参詣者かと思ったら、弁当を食べている運送業者やタバコを吸うために立っている人たちでした。千代田区は全域歩きタバコ禁止ですが、お稲荷様のご加護でしょうか。

ご商売は?
ビジネス家具屋  この商店の商売がなんだかわかりますか。これだけ大きいコーラの看板が出ていれば思わず食料品店か菓子屋かと思いますよね。ではないんです。このお店、実はビジネス家具販売が商売です。
 店先に数台清涼飲料水の自動販売機が置かれています。この看板はそのお付き合いがあるからでしょうか。とにかく人間うわべだけで判断してはならないというとても教訓めいたお話でした。

太田姫神社
太田姫神社  小川町に坐す神社です。宇迦之御魂(つまり日本の農業神)≒稲荷大明神をまつる社です。
 太田姫ってあまり聞かない名前です。そのむかし参議小野篁が冤罪にあって流罪に処されたときの話です。荒れる海を渡る時、しきりと祈ったところ海中から老翁が現れて疱瘡からの保護など身の安全を保障したという霊験があるそうです。その名前が「太田姫」です。この話は無理がありますね。翁なのに姫というのですから。とにかく篁はその形を彫り上げ山城国一口(いもあらい)稲荷社に祀りました。
 時が移って江戸の開祖太田道灌の娘が疱瘡にかかった時、山城国の一口稲荷に人を遣わし祈願しました。やがて願がかなえられましたので勧請して江戸の丑寅に祀ったということです。太田姫は道灌にあやかったものかもしれません。
 いずれにせよこの神様は疱瘡治癒に力を持つ神だったのでしょうか。
 この神社は明治初めまではいまのJR御茶ノ水駅あたりにありました。それが甲武鉄道が開通する時に現在の地へ移転した模様。
 中央線の南側、線路沿いに秋葉原方面に下る坂は淡路坂(大坂)ですが、この坂はイモアライ坂とも言います。「一口」に関わる名前でつまりは太田姫神社に関わる命名です。

顔のYシャツ
顔のシャツ  このお店の名前「顔のYシャツ」です。小川町の東端にあります。大正7年の開業でワイシャツの専門店です。顔のモデルは先代の経営者だそうです。
 むかし、私が4,5歳のころこの前を茅場町→高田馬場間の都電15番が走っていました。親に連れられて親戚の家に向かうとき見かけていました。看板はそのときとまったく変わらず微笑みつづけています。
 看板が50年近く掲げられているのはすごいことですが、いまでもワイシャツ仕立てを生業にしているのは大変なことです。ファンが多いのでしょうね。

裏道の本屋さん
裏道の本屋さん  靖国通りとすずらん通りの間にこの本屋さんがあります。この架設された本箱は店の北側の側面です。
 この本箱の商品は1〜4点で100円です。雨が降っているときに見たことがないのですが、ビニールなどかけているのでしょうか、シャッターでも閉めるのでしょうか。心配です。
 このお店の中の本の展示がまた面白いのです。ちょうど目の高さに割と硬い本が並んでいるのですが、腰から下と頭の上のほうはほとんどエロ・グロです。まあすべての顧客の要求にこたえようと努力されている結果でしょう。

スヰートポーズ
スヰートポーズ  「スヰートポーズ」は悩ましげなポーズではありません。天津風の餃子専門店です。「スヰート」と言っても餡を包んでいるのではないのであらかじめ。「おいしい包子」と言うことなのですよ。念のため。
 昭和30年代の開店ということでそんな古い店ではありません。よそにない形の餃子ですから一度お試しになってはいかが。なにより店名の「ヰ」の字と店の中がカーテンで見えない不思議さが客を寄せているのでしょうか。
 神田には海外の料理を提供するお店がたくさんあります。このお隣がロシア料理。両店の境目は中ソ国境なのですかね。中ソ国境は「アムール河(黒河・黒水)」、それにちなんだか両店の境目には外水道があります。

スーパーストア
スーパーふじや  これがご近所唯一のスーパーストア「ふじや」さんです。お店は2フロアあってでもそれほど大きな店舗ではありません。郊外のちょっと大きめのコンビニといえばお分かりでしょうか。
 でも品揃えはたいしたものです。生鮮食料品まであるのですから。
 先日白衣をきたご近所の板前さんがレジ袋にダイコンを6本ほど入れてでてきました。飲食店の人までが頼りにするお店です。買い物客には老婦人が多く見かけられます。このあたりにお住まいなのでしょうか。
 かと思えば菓子類をずいぶんと買い込んだ学生らしき女性二人文京区方向にタクシーをつかまえて乗っていきました。学校で何か行事があったのですかね。ということは「ふじや」の持つテリトリは驚くべき広さなのです。
 生活用品を販売する商店はこのごろの再開発でずっと減ってしまいました。でも脚を厭わず探せばまだ若干は残っています。さらに週に何度かは移動販売の八百屋・魚屋さんが来ています。山村の趣ですか。
 でも神田は都会の真中、意を決すれば築地市場も大田市場も行動半径の中です。

日本野球発祥の地
野球発祥の碑  場所は神田錦町3丁目の角、ここに学士会館があります。その北西の一角にこの碑があります。このあたりはその昔東京開成学校、つまり現東大があったところです。野球はアメリカ人のホーレス=ウィルソン氏が初めて日本に紹介したそうで、その地がこのあたりとのこと。
 彫刻といい、設置箇所のセメントの色といい新しい、こんなのあったかなと思っていたらなんと2003年末に設置されたそうです。錦町の新名所です。
 ところで共立女子大学はかつて女東大といわれていたのをご存知? 日本における女子大学として創立の古さを誇っているのかと思っていましたが、場所がほぼ同じところの意味だったのですかね。ちなみに学士会館と白山通りをはさんで共立女子大学があります。

神保町花月
野球発祥の碑 野球発祥の碑  かつて神保町、小川町、錦町には映画館をはじめとしていくつか劇場がありました。このあたりは歓楽街でもあったのです。それらは既に消えてずいぶん時間がたちました。
 しかし今年、神田1丁目に新築された小学館ビルに、吉本興業の神保町花月が店開きします。場所は三省堂のすずらん通り入口を出て向かい側の角を入った一角で、ビルも高くありません。物陰に隠れた状態です。しかし写真の通り異様なデザインのビルです。訪れる目的がはっきりしている人々にとってはそんなことは何も問題にならないでしょう。
 劇場のほかに現在渋谷にある吉本興業の学校も移転するそうです。

新島襄生誕の地
新島襄生誕の地  幕末にアメリカに密航し、現地神学校で教授を受けたあと帰国して京都に同志社大学を設立した新島襄は、錦町で生まれました。いまの学士会館の背後(南側)敷地内にこの碑があります。
 この地は安中藩板倉家の江戸屋敷があった場所で新島襄はその家臣の子です。
 学士会館は北側が入り口です。碑は会館の裏に当たる南にありますので見落とし勝ちのです。学士会館にお出かけの機会がありましたら少し足を伸ばしてご覧ください。

学習院跡
学習院跡 学習院跡  現在は目白の台地上、乃木大将の旧屋敷内にある学習院大学はここが発祥に地だったのです。学習院大学は華族学校として設立されました。その設立地は東京開成学校(現、東京大学)の南側ということになります。広大な休閑地がこのあたりだったのでしょうね。江戸末期当時の錦町の様子は次の「ごじいんがはら」でご覧ください。
 写真上は数年前学習院大学によって建立された記念碑、下の写真はその周辺環境です。写真の中央よりやや右下、歩道上に若木の横に立てられているが碑です。

ごじいんがはら
ごじいんがはら 丸に十の字  護持院は、元禄元年徳川綱吉が創建した壮大な寺院で、寺域は一ツ橋から錦町にわたっていました。しかし29年後大火にあって消失。護持院自体は先に建てられていた文京区の護国寺区域内の本坊に移されました。旧寺域はその後、護持院が原と呼ばれる火除け地とされ、明治にいたるまで空き地でした。
 今、錦町3丁目3番地にそのほんの一部が公園として残っています。この公園の目印は「安田のおじいちゃんの木」で、その下にこの碑があります。公園はこども向けに作られたもので、その旨この碑の南面に記してありますが、陰になる西面に平仮名のみで「ごじいんがはら」の彫られています。現在この地域に子供はおらず、小公園は大人の喫煙場所として機能しております。
 その横になにやら意味不明の石がひとつ残されています。石自体は半分に割れたようなものですが、丸に十の字の紋らしきものが素人仕事でうっすら彫られています。島津家のゆかりの石でしょうか。と、これは根拠のない話です。

五十通りラーメン店群
五十通りラーメン店群  千代田通りから本郷通りへ靖国通り南側を平行に走る五十通りをはさんで北の小川町、南の錦町に最近ラーメン店が続々オープンしてます。この近辺3年程前にはあまり見当たらなかったでのすが。神保町三井ビル(東京パークシティ)の竣工後昼飯の需要が増大したおかげでしょうか。
 一店一店紹介するのは骨が折れますのでまとめて写真でご紹介します。
 この写真をたよりに五十通りをぶらついてみてください。もしお気に入りがなかったら靖国通りに面して神保町よりにまだまだあります。
 まずタイトル下は神田中華料理組合の入っているビルから。
味の一 えん 福のれん
萬楽 天鴻餃子房 おっち
ほん田 翠園 暖暮(小川町)
徳萬殿(神保町) チャイナキッチン(神保町) 康楽(神保町)














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神田錦町界隈